江戸時代の古道を登る 桐生市梅田<根本山>

江戸時代に観光ブーム?! 関東一円から信仰を集めた霊場

根本山は、群馬県と栃木県にまたがる標高1,199mの山。
ぐんま百名山、栃木百名山の両方に選ばれており、
登山シーズンには多く山登りファンが訪れる人気の山です。

根本山は、桐生川の最上流部に位置、中腹には根本山神社があります。
その根本山神社の歴史は古く、鎌倉から室町にまで遡ると言われます。
安土桃山時代には、天台寺門宗び霊場として再興され、その頃から修験者による活動がはじまったとされます。
根本山信仰がもっとも盛んになった時期は、江戸時代後期のこと。
文政・天保期にかけて、その信仰は関東一円に広がり、各地に講(宗教的社交的協同組織)が現れるまでに。根本山信仰が広がりをみせるなかで、ついには安政6年には根本山への参詣のガイドブックともいえる『根本山飛渡里安内』が刊行されました。
江戸日本橋から、浦和―大宮―熊谷―妻沼―太田を通って根本山までの旅籠・宿泊地、休憩所、お土産物の案内が記されています。

現在の根本山への登山ルートは中尾根を通るコースと、根本沢を通るコース、大きく2つ。
いまでも根本山信仰に関する遺構が各所に残り、一般的な登山にはない味わいを演出してくれます。

いまだ江戸時代の遺物が眠る ノスタルジーにあふれる登山道

根本山への参詣の道しるべとなったのが、参詣道におかれた丁石(ちょうせき)。
情報のない当時、険しい山道で残りの道程を知ることができる唯一の情報源となったこの丁石は時代とともに埋没し、多くが取り残されましたが、最近になり多くの丁石が発見され、地元桐生タイムス誌の誌面をにぎわせています。

江戸時代から連綿と続く根本山登山を影で支えているのが、根本山を愛する地元有志によって組織された根本山瑞雲倶楽部。毎年山開きの際には、メンバーが登山道を整備、倒木の除去や目印の設置など、登山者が安全に楽しめるように保全活動を続けています。

根本沢コースは、江戸時代当時の鉄製はしごなど、遺構が多く残り、より古道の味わいを感じられます。
梅田の大自然がひろがる山中でふと立ち止まると、その静寂の向こうから、数百年前にも同じように山を登った人々の息遣いが聞こえてくるようです。

道標となった丁石のほか、江戸時代の鉄梯子が残っている場所もあります。

まだ見つかっていない丁石を探すのも根本山登山を愛する人たちの楽しみのひとつ。

根本山瑞雲倶楽部(石島万三会長)のみなさんが、毎年春には登山道の整備を行っています。